世界の名馬を日本語で ブログ版 -3ページ目

テューダーミンストレル (Tudor Minstrel)

父Owen Tudor 1944年生まれ 英国産

 

デビュー戦、2戦目を楽勝し続くコヴェントリーS(芝1000m)を馬なりのまま4馬身差快勝。さらにナショナルブリーダーズプロデュースS(芝1000m)も追われることなく4馬身差で圧勝し2歳時から高い評価を得る。3歳緒戦を難なく勝ち、1番人気で英2000ギニー(芝1600m)へ進むと、レースでは対抗馬ペティションがスタート直後に転倒するアクシデントが起き、ライバル不在となったテューダーミンストレルは誰の追随も許すことなくクラシック史の残る8馬身差の大勝を決めた。続く英ダービー(芝2400m)では単勝1.6倍を切る圧倒的本命に支持されたがこのレースでスタミナ不足を露呈し、レース終盤で完全に失速。タッテナムコーナーまで先頭を守ったものの、最後は1着パールダイヴァーから10馬身以上離れた4着に沈み、「ゴードン・リチャーズ騎手はダービーを勝てない」という当時のジンクスを証明する結果となった。

 

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デヴィルダイヴァー (Devil Diver)

父St.Germans 1939年生まれ 米国産

 

2歳時にはホープフルS(ダ1300m)で後のケンタッキーダービー馬シャトアウトを下し、3歳緒戦フェニックスS(ダ1200m)では前年の三冠馬ワーラウェイを相手に金星を挙げるなど強い所を見せたがその後はケンタッキーダービー(ダ2000m)で6着、プリークスネスS(ダ1900m)でアルサブの8着に敗れるなど振るわず、3歳秋から4歳春にかけて5連敗を喫するなど低空飛行を続ける。5月、トボガンH(ダ1200m)を勝って勢いに乗ると、続くメトロポリタンH(ダ1600m)を快勝し古馬ハンデ戦線をリード。この年ステークスを4勝した。5歳時にはステークス5連勝を含む7勝を挙げ、特にメトロポリタンHでは134ポンド(60.5kg)の極量を背負って109ポンド(49.5kg)の2着馬に快勝。6歳時にメトロポリタンH3連覇を達成し、サバーバンH(ダ2000m)では132ポンド(60kg)のハンデで119ポンド(54kg)のスタイミーを2着に撃破した。

 

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デイラミ (Daylami)

父Doyoun 1994年生まれ 愛国産

 

アガ・カーン4世の持ち馬としてフランスで走っていた頃は主にマイル戦を走り3歳時に仏2000ギニー(G1芝1600m)を制覇。ジャックルマロワ賞(G1芝1600m)やムーランドロンシャン賞(G1芝1600m)では年上のスピニングワールドに力及ばなかった。4歳、ゴドルフィンの所有馬となり主戦場を英国へ移したのを機に中距離馬へと転身しエクリプスS(G1芝2000m)に勝利。秋には渡米してマンノウォーS(G1芝2200m)を快勝した。5歳、初のダート戦ドバイワールドC(G1ダ2000m)こそ5着に敗れたが、更なる距離延長を克服。“キングジョージ”(G1芝2400m)では好位で併走していた英ダービー馬オースを楽に置き去って先団を捉えると、そのまま後続を5馬身突き放す強い勝ち方を見せ、BCターフ(G1芝2400m)では先行抜け出しから2馬身1/2差の快勝を決めるなど、この年3連勝を含むGⅠ4勝の大活躍をした。

 

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デイジュール (Dayjur)

父Danzig 1987年生まれ 米国産

 

2歳6月英国でデビューし2戦1勝。秋シーズンは後肢の故障で休養した。3歳、ヨーロピアンフリーH(芝1400m)で7着に大敗した後は短い距離に専念し、5月テンプルS(G2芝1000m)で重賞初勝利。8月ナンソープS(G1芝1000m)ではレースの半分程で4馬身のリードを奪うと、騎手が鞭を振るういとまもなくゴールへ跳び込み、56秒16という圧巻のレコードタイムで衝撃のGⅠデビューを果たした。9月のスプリントC(G1芝1200m)を勝った後、10月には渡仏してアベイユドロンシャン賞(G1芝1200m)を快勝。欧州最強スプリンターとして1番人気で米国BCスプリント(G1芝1200m)に挑んだが、直線、前を行くセイフリーケプトに並びかけ態勢有利になったところでコース上に広がるスタンドの影に驚き障害馬の様にその影をジャンプ。この“珍事”でわずかに失速し、クビ差で勝利を逃した。1990年タイムフォーム社選出欧州年度代表馬。

 

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タンティエーム (Tantieme)

父Deux-Pour-Cent 1947年生まれ 仏国産

 

2歳時5戦4勝。仏グランクリテリウム(芝1600m)では好位から鋭伸してモルニ賞馬クサリノールを交わすなど早くから名馬の誕生を予感させた。3歳、仏2000ギニー(芝1600m)で後の英ダービー馬ガルカドールを下し、続くリュパン賞(芝2100m)も快勝。仏ダービー(芝2400m)でも当然のように1番人気に支持されたが、ゴール前、この後英セントレジャーを勝つスクラッチを振り切ることが出来ず2頭並んだままゴール。写真判定の無い時代、審判委員の裁断でハナ差負けと裁決された。7月には初の渡英戦となるクイーンエリザベスS(芝2400m)を戦い名牝コロナティオンにアタマ差勝ち。10月には凱旋門賞(芝2400m)に出走し、前述したスクラッチやコロナティオン、愛ダービー馬ダークウォリアーらを破って優勝した。翌年に行われた第1回“キングジョージ”(芝2400m)は3着に敗れたが、凱旋門賞を2馬身差で勝ち連覇を達成。

 

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