ウエストオーストラリアン (West Australian)
1850~1870 牡 栗毛 英国産
Melbourne 黒鹿 1834 |
Humphrey Clinker | Comus |
Clikerina | ||
Cervantes Mare | Cervantes | |
Golumpus Mare | ||
Mowerina 鹿 1843 |
Touchstone | Camel |
Banter | ||
Emma | Whisker | |
Gibside Fairy |
英国で11戦10勝
主な勝ち鞍:英国三冠、アスコット・ゴールドC、アスコット・トリエニアルS、グランド・デューク・マイクルS
2歳時2戦1勝。調教を強くするとソエが出て、軽くすると体重が増え過ぎるというデリケートな馬で、3歳緒戦が英2000ギニー(芝1600m)となる。シッティングバーンを1/2馬身おさえて三冠レースの緒戦を制すと、1番人気で第74回英ダービー(芝2400m)に出走。逃げるシニーズをウエストオーストラリアンとシッティングバーンが追う展開となり、ゴール直前でシニーズを捉えると、追いすがるシッティングバーンにクビ差をつけてゴール板を通過した。英セントレジャー(芝3000m)ではもはや敵はいなく、ザリーヴァーに3馬身差をつけて圧勝し、史上初の英国三冠馬となった。達成後は出走馬の棄権が相次ぎ、2戦を単走で勝利してこの年5戦5勝。4歳で古馬最強戦アスコット・ゴールドC(芝4000m)をレコード勝ちし、後に言われる初の“四冠馬”となった。
参考文献:『伝説の名馬4』 p.109-120
ウォーアドミラル (War Admiral)
1934~1959 牡 黒鹿毛 米国産
栗 1917 |
Fair Play | Hastings |
Fairy Gold | ||
Mahubah | Rock Sand | |
Merry Token | ||
Brush Up 鹿 1929 |
Sweep | Ben Brush |
Pink Domino | ||
Annette K. | Harry of Hereford | |
Bathing Girl |
米国で26戦21勝
主な勝ち鞍:米国三冠、サラトガC、ピムリコスペシャル、ジョッキークラブ・ゴールドC、ホイットニーH、ワシントンH
2歳時は6戦3勝。あまり高い評価を得てなかったが、チェサピークS(ダ1700m)でサンタニア・ダービー馬フェイリーヒルに6馬身差の逃げ切り勝ちを修めて名を挙げ、ケンタッキー・ダービー(ダ2000m)では悠然と逃げて2歳時最強といわれたポンプーンに1馬身3/4差の快勝。1週間後のプリークネスS(ダ1900m)は直線でポンプーンに並ばれるもきっちり頭差を守って2冠達成。ベルモントS(ダ2400m)ではレ-ス前にイレ込み出走ゲートに前脚を引っかけて怪我をしたが、臆することなく先頭に立ち、血まみれになりながら後続を3馬身ちぎって圧勝。史上4頭目の米国三冠馬となった。3歳を無敗で終え、4歳11月ピムリコスペシャル(ダ1900m)で5歳のアイドルホース・シービスケット とのマッチレースが実現。一度は追いつき2頭並んだまま直線に入ったが、じりじりと4馬身差をつけられて後塵を拝した。
参考文献:『伝説の名馬3』 p.271-282
ヒート競走
エクリプス Eclipse の記事で登場した「ヒートレース」についてひとこと。
ヒートレースというのは、同じ馬が2回ないし3回勝つまで繰り返し行われるレースのことで、近代競馬が成立する18世紀半ば(アメリカでは19世紀末)までこれが主なレース形式となっていました。レースは3マイル(約4800m)から6マイル(約9600m)といった長距離で争われ、出走馬は6歳馬や7歳馬が中心だったそうです。
ヒートレースには勝馬から240ヤード(約220m)以上の差をつけられて負けると失格になるというルールがあり、たとえば第1ヒートでこれをやると、負けた馬は第2ヒートに出場できない。第1ヒートの勝ち馬が後続の全ての馬に対しこの着差をつけると、負けた馬は第2ヒートに出られないから、自動的に第1ヒートだけでレースは終了、勝ち馬の勝利が確定する。かの名ゼリフ「エクリプス1着、他の馬はどこにもいない」というのは、エクリプスが1着で、他の馬は失格になるという、デニス・オケリー氏(当時なうてのギャンブラーで、後に同馬のオーナーとなる)のレース前の予想が後世に伝わったものなのだそうです。
その後、現在のステークス競争の原型になるスイープステークス(出走馬の馬主が登録料を出し合い、勝った馬の馬主がこれを総取りする)やプレート(レースの主催者が賞金を出す)が整備され、走る馬も若年化。1776年にはイギリス最古のクラシック・セントレジャーが、1780年にはダービーが創設されています。
ちなみにダービーが創設された時、エクリプスは16歳。種牡馬としてダービー馬ヤングエクリプス(第2回)、サルトラム(第4回)、サージャント(第5回)の3頭を輩出しました。
エクィポイズ (Equipoise)
1928~1938 牡 栃栗毛 米国産
Pennant 栗 1911 |
Peter Pan | Commando |
Cinderella | ||
Royal Rose | Royal Hampton | |
Belle Rose | ||
Swinging 栗 1922 |
Broomstick | Ben Brush |
Elf | ||
Balancoire | Meddler | |
Ballantrae |
米国で51戦29勝
主な勝ち鞍:サラトガC、メトロポリタンH(2回)、アーリントン・ゴールドC、ホーソン・ゴールドC、ホイットニーH
2歳時から精力的に走って16戦8勝。3歳はチェサピークS(ダ1700m)の大敗、プリークネスS(ダ1900m)4着後の裂蹄もあり、3戦を消化したところで長期休養に入る。4歳を迎えて本格化し、デラヴァンH(ダ1600m)のレコード勝ちを含め7連勝し、5歳でメトロポリタンH(ダ1600m)、サバーバンH(ダ2000m)、サラトガC(ダ2800m)などを勝って再び7連勝を達成した。ハンデ戦で他馬より20ポンド(約9kg)以上重い重量を背負ってライバルを蹴散らす姿がファンの心をとらえ「チョコレートソルジャー」の愛称で一時代を築いた。また3度の失格や騎手の振り落としなど、荒っぽいふるまいも人気の1つだった。不況によるレース賞金の下落がなければ、間違いなく収得賞金世界レコードを更新したといわれている。
参考文献:『伝説の名馬4』 p.39-49